例えば、チョコレートと思って口に入れたものが栗だったときの、その、なんとも言えない感じ。
(…)一夕、余ハ郷里ノ栗ヲちよこれえと玉ト誤認セリ。余ノ視野ノハヅレニ一皿のちよこれえと玉の現ハレタルハ、余ガ机上ニテ二本の蘚(こけ)ノ比較ヲ試ミ居タル時ニシテ一皿ノちよこれえと玉ハコトゴトク銀紙ノ包装ヲノゾキ、ちよこれえと色ノ皮膚を露ハシ、多忙ナル余ノ食用ニ便ナル玉ナリ。余ハコノ心ヅクシヲ心ニ謝シ、乃チ一個ヲトリテ口辺ニ運ブ。而ウシテ、アア、コレハ一粒の栗ナリキ。(尾崎翠「第七官界彷徨」1933年)
たくさんの素敵なことが、錯誤から生まれる。
「アア、コレハ一粒ノ栗ナリキ」の「アア」のために、私たちは生きている、ともいえる。
上に引いたのは、苔の研究者の論文の一節。「第七官界彷徨」という(カルト的人気?)小説のなかで、一等好きなシーンのひとつ。
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3 件のコメント:
それは『第七官界彷徨』ですね。
「よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。そしてそのあいだに私はひとつの恋をしたようである。」
この書き出しが大好きです。
俳句って私には「変な家庭」みたいだな、と俳句に係わり始めの頃に感じたことを思い出しました。
創樹社の単行本は野中ユリの表紙がとっても素敵です。
この短編、大島弓子に漫画化してほしいのですがどうでしょう。
あ、コメントの仕方を間違えました。
下は私の書き込みです。
すみません。訂正させてもらいました。
『アップルパイの午後』(薔薇十字社1972)所収。
「第七官界彷徨」をはじめて読んだのが17歳(創樹社版ではなく、上記、薔薇十字社版でした)。神田古書街にはじめて遊びに来たとき、予備知識も何もなく、タイトルに惹かれて買ったのでした。
20歳で大島弓子を読んだとき、「あ、これ、尾崎翠だ」と…。
例えば、バナナブレッドのプディングとか。
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