戦後は今年で71年。そのおよそ前半期(1980年代半ばまで)の俳句史を、金子兜太が語る、ってなわけで、『オルガン』第6号(2016年8月)の座談会をおもしろく読んだ。
ということは、1980年代半ば以降については語られておらず(あるいは私が読み取ることができず)、ぼんやりとモヤに包まれたまま、何十年間かを、俳句は生きているのか、といったことで納得するしかないのですが。
個人的にとくに印象に残ったのは(これまで知っている金子兜太的事柄は除いて)、
1 鷹羽狩行的なもの(あるいは個人)が金子兜太的なもの(あるいは個人)の「敵」であること。
2 草田男らとの抗争・論争において、「野心」「覇権」「政治」といった語が鍵になっていたこと。
3 兜太の推進する句群に対して、意味に過ぎない、スローガンに過ぎないといった批判が当時ずいぶんあったこと。
「兜太が言いたい放題」というかんじ(ツイッターetcでいくつかその指摘を見た)はあまりしない。もう何度も語ってきて熟れまくったネタの披瀝(つまり座談会といいながら、兜太講演)というかんじもあまりしない(少しはする。とりわけ自作とからめた部分)。
一読をオススメ(『オルガン』第6号はまだ残部あるんじゃないですかね)。≫ウェブサイト
ついでに、もう1本の座談会「視覚詩」。こちらはよくわからなかった。語られている内容が、ではなく(それもかなりあるけど、私の無教養とか能力不足が原因だから、そのことはとりあえずいいのです)、何が語られようとしているのかがよくわからなかった。言い換えれば、語り合うことで、この人たちが、何に接近しようとしているのかが(私には)見えない。
こちらもオススメ。おもしろく読めるという人も、いそうです。
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