2016/08/31

■なぜ「中八」/「五八五」はダメなのか?

繰り返される話題ですが、中八。

樋口由紀子 金曜日の川柳〔川合大祐〕
http://hw02.blogspot.jp/2016/08/blog-post_26.html

柳本々々 夏のあとがき
http://yagimotomotomoto.blog.fc2.com/blog-entry-1489.html

兵頭全郎 中八考
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/07/blog-post_28.html


私の場合、中八、というより、「五八五」が、NG。

理由は、ダメと言われているから、といったことではまったくない(規範を教条的に守るのではまったくない)。経験から来るものです。

五八五では乗れない。五八五でビートやグルーヴを感じたことがない。

理由は以上のように明白。

あまりに明白なので、「中八」「五八五」の是非のようなことを論じる気が起きない。愛想のないことですが、しかたがありません。


なお、念のために言い添えておくと、五七五でありさえすれば乗れる、ビートやグルーヴを感じる、ということではないので。


3 件のコメント:

竹井紫乙 さんのコメント...

リズム感の有無は、ある程度意図的に養うことができるのかもしれませんが
やはり生まれ持った能力や育った環境という部分が大きいようにも思います。
耳がいいか悪いかも重要ですし、様々な音楽を楽しめる体質であるかどうかも。
短詩に限らず、言葉は音楽的なものだと常々思います。

10 key さんのコメント...

音楽性の占める部分は大きいですよね。

句が、(散文的な)意味から逃れるうえでも。


ことばの音感と音楽の音感はまた別とは思いますが。

匿名 さんのコメント...

俳句は素人ですが音楽はプロです。基本は4拍子でしょう。2小節目の1泊目の裏から入るなら8分音符が8つは不自然ですが、裏から入るなら自然です。もっと言えば、7つでも8つでもリズムやグループは変わりません。あくまで音楽としてですが。