「BL俳句」は、ネタ俳句のひとつのジャンルとして、わかる。
俳句は、詠みたいものを詠むのがいい。というか、詠みたいものしか詠めない。詠みたいなら、なんだってアリ。読者とどう出会うかは別にして。
「BL」モノは広大な沃野を形成しつつあるようだから、俳句もその一端を担えるかもしれない。
一方、「BL読み」。
いっけんBLを扱っていないような句もBL俳句として読む、ということらしい。
さて、そこで、次の3つは、様式として同じなのか(共通項を持つのか)、はたまた違うのか?
A BL読み
B なんでもバレ句(もっぱら異性愛)に解してしまう態度
C 西東三鬼《昇降機しづかに雷の夜を昇る》の「雷の夜」を国情不安、「昇降機」を共産主義の昂揚と解釈した公安警察の読みBは、句会の悪ノリとしてたまに勃発する。例えば(例を引くのもはばかれるが)、「ソーセージ」という兼題で作った句を、すべてそちら方面に解釈するといった、たわいなくバカげた態度。
Cは、「コモエスタ三鬼 第23回 暗号解読」でも書いた有名なエピソード。
AとBとCは、私には、様式として(reprise)ほぼ同じに見える。違うならどう違うのか。そのへん、興味がある。
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