2016/12/21

■呉智英で話を混ぜっ返すのはもっと先でいい

「すべからく」の誤用が以前より減ったとしたら、呉智英の功績大。しかしながら、この誤用指摘に「また呉智英かよ」と混ぜっ返すのは、まだ早い。もっと減ってからでいい。

減ったといっても、まだまだ多い。俳句で見つけることさえある。

1本の論考のなかの1箇所とはワケが違う。17音のうちの5音、3語ほどのうちの1語。だから、めだつ、めだつ。誰か言ってあげればいいのに。



で、誤用の話題になると、かならず出てくるのが、「ことばは生きている。誤用が広まれば、運用となり、誤用ではなくなる」といった意見。

ことばはたしかに生きている。うつろいやすい。誤用もアリになっちゃうこともある。けれども、誤用が出自というのも、ちょっとかなしい話。

あるいは、「過去に用例がある。ほら、誤用じゃないでしょ」という指摘。たしかにそんなこともあるけれど、古くからの誤用に過ぎないケースも多々。



ちなみに、このところ用字でよく目にする間違いが、

追求(追究)と追及。

誤用というよりタイポ、変換ミス? スペースキーを押して先に出てきたほうで行っちゃうかんじか。



ま、そんなことはさておいて、踊りましょうか。年末だし。

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