某日。今年最後の週刊俳句を更新。
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某日。今年最後のくにたち句会。
句会後の飲食で「俳人のゴール」という話題が出る。たいそうな話ではない。サラリーマンなら社長がゴール、という人も多いだろう。その程度の話。
「主宰がゴールって人は多いんじゃないの?」
それはそうでしょうね。
結社の主宰って、だいたいは親切で面倒見がいいのだろうけど、ひとり残らず俗物でしょう?(そんなもの、ロールモデルにもならない)
…と言ったものの、「ひとり残らず」は言い過ぎ。「ほとんど」にいま訂正。
主宰たる俳人の、俳人としての側面に関心をもつことはあっても、主宰であることには関心ゼロ。だって、そんなこと、私と何の関係ないものね。どこかの結社に入ってるわけじゃないから。
で、自分と俳句のことを訊かれたので、きれいごとかもしれないけれど、「俳句の近くにいられたらいい。これからもずっと」と答える。
俳句の近く。それは、俳句世間の「中」や「近く」じゃない。為念。
俳句を読んだり、俳句について考えたり、句会で俳句をつくったり、『週刊俳句』に関わったり。
ゴールを想定するのはつまらなくて、いつも、どれもが、自分と俳句の関わりの《始まり》であれば、それは素敵でしょう。
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某日。友人の植木屋が来訪。「これを庭と呼ぶのか?」というくらい狭小な庭(のような部分)ですが、毎年手入れをしてもらうのは良いこと。
東京の美しき米屋がともだち 阿部完市
東京じゃなくて調布だし、あんまり美しくないし、米屋じゃないけど。
嫁はんはピアノデュオの相方と練習。おふたりの昼ごはんに、私が近くのパン屋さん(優良店プチアンジュ)まで自転車でひとっ走りして、サンドイッチやおかずパンを買ってくる。
友人と私は外へ昼ごはんを食べに。
友人がスマホの写真でセルマーのサキソフォン(光り輝いている!)を見せてくれる。高校の吹奏楽部に入った娘に買ってやったのだという。おお! 素晴らしい!
昼頃聞こえていた植木鋏の音は、やがて地べたを履く箒の音へ。
平和。
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